【退職エントリ】5年勤めた会社を退職しました。

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誰も興味ないと思うのですが、自身のためにも今の気持ちの備忘録として残しておきたいと思います。

辞めた会社への入社の動機

高専生の就活というのはあってないようなものなのですが、大学生のように企業研究などをするような人はほとんどおらず、ネームバリューだったり、先生の勧めだったりで決定する人がほとんど。なぜなら学校から推薦をもらって、1社目で内定をもらえる場合がほとんどで、内定がもらえず就職に困るなんてことがほぼありえないからです。私も女性の先輩が毎年入社しているという安易な理由で、とある通信企業への入社を決めました。このときの私は、会社なんてどこでも大体同じで、しっかり働いていれば、いずれは技術が身について、やりがいや自己満足が高まっていくものだと思っていました。

入社面接では一貫して、技術を身に着け、それを役立てたいということ、自分で考え、工夫しながら仕事をしたいということを面接官にはお伝えしました。

私が中学を卒業して高専に入学した理由も上記と通ずるところがあり、中学の頃から自分の能力を高めることに価値を感じていて、なかでも技術については、結果は絶対的なものになると考えていたからです。

どんな仕事をしてきたか

入社5年間は若手社員の育成期間として位置づけられ、上司や人事が決めたとおりに異動を余儀なくされました。

入社1年目

新人研修として1週間、研修施設に缶詰めに。研修と懇親会という名の強制的な飲み会によって時間も拘束され、風呂もまともな時間に入れず朝入るなど工夫し、睡眠もまともにとれない1週間をすごしました(今までに見たことがないくらい肌荒れして化粧ができなくなりました)。

それからは各事務所に新人社員は振り分けられ、座ってただ話を聞いたり見学したりする日々が半年続きました。残りの半年は現場で実践的な作業をさせてもらい、引っ越しを伴うプチ異動を強いられましたが、これはそこそこ充実した時間だったと思っています。

入社1年目はとにかく慣れないなか毎日を過ごすのに必死でしたが、会社に対する不満みたいなものは少しあって、現実逃避で週末に突然旅行に出かけたり、歌うのが好きなのでオーディションに応募してみたり、趣味に没頭してみたりしていました。

二十歳過ぎたからかストレスからか、今までできたことのない頬へのニキビが増えました。

入社2、3年目

本社と支店を2年ずつ経験するというカリキュラムになっていたので、2、3年目は大阪に勤務となり、入社以降2回目の引っ越しをしました。この時の人事異動の面談でやりたいことや希望の部署もお伝えしたつもりですが、結局希望通りにはなりませんでした。その点については、企業の中で仕事をしているので、しょうがないかな、と納得し、配属された部署でそこそこ充実した日々を送りました。というのも、配属された部署では若手社員が多く、少ない人数で業務をまわさらければならず、ほとんどの人がテキパキと仕事をこなし、仕事上のストレスはほぼ感じることがありませんでした。私もそこそこ重要なポジション(仕事を他者に割り振ったり、チームのスケジュールを決めたり)を担当させていただき、日々に非常に達成感がありました。ただ実務をやり始めると、企業の体質がなんとなく、ぼやっと見えてくるもので、自分より周りの社員は優秀だと思っていたけど、実際はそうでもないだとか、上司がこう言っているからやらないと、と言って無駄な仕事が増えたりだとか、そういうことが気になりだしたのもこの時です。でもみんな会社員である前に、個々に考えを持った人間だし、こういう考え方の違いは生まれるものなんだろうと納得していましたし、業務上それが私へ実害として及んだことがほぼなかったので、気にはなりませんでした。

しかしながら私にとって”大阪”という居住地に問題がありました。異動前は日本で日本語が通じればどこに住んでも同じだろう、と安易に考えていましたが、自覚のないストレスを体が感じていたようで、機能性胃腸障害を発症。それから月経前症候群の悪化(気分が悪くて吐き気や身動きができなくなり、気絶したりなど)。体調が悪くないときに病院で検査をしてもらいましたが、原因を特定できず、数値や映像で見るだけではいたって健康という結果に。原因として考えられるのはストレスだろうと病院の先生に言われましたが、仕事もプライベートも充実していると思い込んでいた私には思い当たるものがありませんでした。症状がこんなにしんどいのに、改善できないということがあまりにも悲しく、夜な夜な泣きました(笑) こんなこともあるのかと、私にとっては新たな発見でした。

合わせて会社の体制も大きくかわっていく話が出ていて、実作業的なことは他社に委託し、会社の規模を集約して、最終的には本社に社員を集めるとのこと。このような話は、入社時に説明は一切ありませんでした。私は業務を通じて技術を習得していくことを目標としていたのに…叶わない夢となってしまいました。

上記のようなこともあり、3年目の中頃には、この会社で一生仕事をしていきたいとは思えないな、と思うようになり、大阪で転職したくないので次の異動以降に転職をしようと考えました。

入社4、5年目

次は支店勤務ということで、地元の支店に異動し、設備の計画業務を行うこととなりました。これももちろん、異動前の面談で希望した部署ではありません。面談でひどいと思ったのは、面談する人事課長が面談相手である私に対して、どこの支店から来たんだっけ?だの、私が希望の部署を伝えると、それってどこの支店にあるんだっけ?だの、下調べが全くできていなくて、この面談の時間が本当に無駄だと感じられました。形だけの面談で、本人の能力や希望なんて全然考慮していなくて、結局は人事の都合、好き嫌いで上司が部下の配属を分けているということが、もうこの時点である程度分かってしまいました。

さらに若手社員のほとんどは本社勤務のため、支店には年配の大先輩ばかりが勤務しており、やり方が固まっていて新しいことを受け入れられないだの、それは俺の仕事じゃないだの、やりたい放題で、これが私にとってはかなりのストレスでした。特に自分の仕事がうまく進められなくてイライラして他人に八つ当たりしたり暴言を吐く私の両脇の席の人間は最悪でした。

業務自体は大したことがなくて、人間が決めたルールに沿って資料を作成したりお金の計算をしたりするという単純なものでした。私はこのような業務にはあまり価値を感じておらず、この部署で過ごした2年間は非常に退屈でした。この業務量にこの社員数は明らかに多すぎると感じ、私も任せられた仕事がしょうもなくてすぐに終わってしまうので、はじめのうちは上司に何か手伝えることあるかと聞いたりしていましたが、その業務自体もやる価値がない業務ばかりで、なんでそんな仕事やってるのかと苛立ちも覚えましたし、そのうち聞くのを辞めてやらないといけないことのみするようにして、空いた時間で時間のかかる単純作業をVBAマクロで処理させるようにして真面目に業務改善するようにしたり、転職サイトなどをみたり(笑)していました(業務中ネットニュースを毎日みているおじさんもたくさんいたので、これくらいは許してください)。特に衝撃的だったのが私が何気なく作っていたEXCELマクロを上司が勝手に業務改善として報告していて、それがそのままどんどん上層部で取りあげられて、社長表彰になるという事態になり、なんというか、会社の”底”が見えてしまったような気がして、喜ぶべきところだったんでしょうけど、全く喜べませんでした。この会社で自身のこれ以上の成長は見込めないと、確信に変わってしまいました。

転職イベントにも参加し、今の会社よりも良い地元企業がたくさんあることを確認し、転職自体もそこまで難しいことではないということの確認が取れました(高専卒で女性というだけでそこそこ興味を持ってもらえましたし)。ですがそれと同時に、企業から企業へ転職しても、私が企業に抱いていた不満がすべて解消されるわけではないと感じ、企業に勤めること自体が、私には合っていないのではないか、と考えるようになりました。そこで最終的な転職先の決定を30歳(転職しやすい年齢とされているので)と定め、それまでは異業種など、興味があることにとにかく挑戦して、自分の能力や価値を高めていくこととしました。

まず自分の体力の限界を知りたいと思い、スケジュールを詰めに詰めまくりました。その大半が専門学校の夜間の授業です。専攻は以前から興味のあった”調理”。1年半通い続け、調理師免許の取得ができました。免許は私の中ではオマケで、メインは同じような志をもった人たちとの交流をすること。自分の考えを深め、確信に変えていけたことがとてもよかったと思っています。朝から8:30に出社し、帰宅は22:30。こう聞くと普通の生活じゃないか、と指摘されそうですが、このような生活を5年間はしたことのない人間からすると、こなせるかが不安だったのです。ですが心配は無用でした。納得してやることの大切さを再確認しました。

次第に私が価値を感じている技術の習得というものが、飲食という道で技術を極めていくことで、より実現性の高いものになるのではないか、と考えるようになりました。飲食業への転職し、自分に合っていると確信が持てれば、最終的には自分でお店を経営して、好きに生きていくことを目標としました。※飲食業といっても、大手メーカーなどではなく個人店での就職です。

また、すぐに転職するのはもったいない(仕事に拘束され続け、自由な時間を容易にとれなくなる)と感じ、一年間の海外留学(ワーキングホリデー)をすることにしました。ワーキングホリデービザは基本的には30歳までの人がとれるビザで、希望する国に1年滞在ができます。英語を話して人々とコミュニケーションをとることに憧れがあったので、この機会を逃すわけにはいかないと思い、退職後すぐに参加できるように準備を進めました。

退職理由

上記を踏まえ、箇条書きにしたいと思います。

  • 入社以降に会社の経営方針が大幅に変わった(方向性の不一致)。
  • 昔からやってきたことを辞められず、やらなければならないと思い込んでいたり、若手社員は飲み会にほぼ強制参加であることなど、全体的な風土が私に合っていない(異動含む人事の体制、業務など)
  • 年功序列で給与は上がりにくく、モチベーションの維持が難しい。尊敬できる上司も少ない。
  • 自身に求められているレベルの低さに絶望し、この会社でこれ以上成長するのは難しいと感じた。
  • 上司に飲みに誘われ、仕事の話を聞いてくれるのかと思ったら、セクハラまがいなことをされたこと。
  • 環境や年齢的な事情も踏まえ、やりたいことに挑戦するなら、いましかないと思った。

前職のいいところと悪いところ

一応書きます。

いいところ

  • 休暇がとりやすい
  • 倒産することはほぼありえない(収入が安定している)
  • 残業がほぼない

悪いところ

上述の通りです。

退職後の動向

あまり未来のことを書きすぎて、縛られるのも嫌なので、直近の目標だけ書いておくことにします。

ワーキングホリデーへの参加(2018.6.1~2019.5.31) ※実行中

  • 英語スキルの習得
  • 異文化交流
  • 外国から見た日本の魅力の確認
  • webを通じてワーキングホリデーの魅力や海外の魅力を発信する
  • 海外で働くことのメリットやデメリットを確認する
  • 海外での開業ルートを開拓しておく

帰国後、飲食店で働く(2019.7~) ※現時点での予定

  • 個人経営の日本料理店で働き、技術を習得
  • 英語で日本の魅力をwebを通じて発信(地元の魅力もアピールして、観光を促す)
  • 料理動画、レシピの作成と紹介
  • 婚活

その後

  • 飲食業界が不向きと判断した場合は別業種の地元の企業に転職する。

次の仕事がまだ決まっていないので退職エントリはここまでとしたいと思います。ホームステイ先のご家族がかなり自由な生活をしていらっしゃって、コミュニケーションがとりづらく(どこにいるか不明で皆さん部屋にこもっている)おかげさまで自分の部屋で一人暇な時間を過ごしているのでかなり長い文章になってしまいました(笑)

さっそく先行きが不安ではありますが、この今の気持ちを忘れないように頑張っていきたいと思います。以上もぐでした。

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